自分では見えない後ろ姿に
積み重ねてきた正しさが現れる。

メイトさんにその美しさを見た。
継続は力なり。

私も自分の後ろ姿に
その正しさと美しさが
見えるといいなって思う。

自分の姿ってのは
立体でなかなか客観視出来ないし
見えるところでしか判断出来ない。

ズルして誤魔化して
逃げてたらたどり着かない。


正しい事が美しさになって
見えたり感じたり
出来るようになってくると
ダメな時はアンディオールが
いまいちだなって思うし
もっとこうしたいとか
もっとこうなりたいとか
やるべき事が身体の作りになってくる。

前しか見えてない状況から
中身を感じる事になっていく。

見える形を前とか横で身体を整えても
後ろ姿は変わらない。

中身が変わらないから
後ろ姿が美しく見えない
そんな事もメイトさんに見えた。
教えてあげたいけど
余計なお世話はしない。

先生が後ろ姿の事を
毎回バーで語っているけど
聞こえてこないんだろうなと思う。

人は見ようとしてない事は見えないし
聞こうとしてない事は聞こえない。
自分に都合のいい事しかキャッチしない。

100の注意より
1のほめ言葉が残る。

勘違いしないように
その『そう』は通過点。

珍しくほめ言葉をいただき
気を引き締めないとと思った次第(笑)