バレエシューズで、出来ない事がポアントで出来るはずがない、と言う経験・・・ ポアントで、立ったからと言って、バレエな訳でもない、ポアントで、出来なかったら、ドゥミでいいからと言っているにもかかわらず、ポアントを履いたからには、ポアントでやらねばと思っていたりする。 それが、単にチャレンジなだけならいいけど。
私ね〜、白状すると、ポアントの苦労をあまりしてないで、
なんとな〜く出来てた人なの。
マメが出来たり、爪が死んだりもした事無いし。
脚の部品はきっと、そろってたんだと思う。
(いいな〜とか、うらやましいとか、思う所では無いから)
バレエ始めてわりとすぐに、先生が足に合わないからって、ポアント次々くれるものだから、エシャッペとかして、遊んでたり。
その頃、そんなに真剣じゃなかったから、『たまにいるんだよね、何もしなくても履ける人』
って言われても、そんなに大変な事という認識もなかったし。
トウパットなんか入れるという事も知らなかったし。
土踏まずに乗れば、つま先は痛くないんだーって思ってたぐらいで。
ただ、宝の持ち腐れって事も良く言われた、その脚がほしいとか、その甲がほしいとか。
みんながうらやましいって言うから、
ポアントで、立つ事がやりやすい脚なのかな?
って思ってたけど、そこには大きな落とし穴があったの。
ポアント履いてる時と、バレエシューズの時と違う事をしていたんだね。
それがわかったのは、つい最近なのよ。
正しい基礎がわかって来たら、めちゃくちゃだったし、見かけ倒しの一筋縄ではいかないやっかいな脚だったの。
引き上げていないと絶対にポアントになれないし、柔らかいから、
真っ直ぐに引っ張ってないと、とても恐ろしい事になる脚。
自分で、出来てると思ってたポアントが、実は、巧みにごまかされた、虚飾の世界だったのよ。
今まで、何をやってたんだろう。何を聞いてたんだろう。
出来た形にまどわされて、そこに行く過程を全然大事にしていなかった。
そして、バレエシューズで、ポアントを履いてるかのような先生との出会いがあり、
美しいのは、ポアントを履く事でなく、ポジションの正確さだったり、鍛え抜かれた、
上半身だったりと言う事がわかったの。
何のために、バレエシューズで、バーレッスンするか。
ポアント履くためじゃないの。
何のためにバーレッスンするか、センターで踊るため。
バーレッスンの、延長上に、バレエシューズの延長線上に、
いろんな事があるのを、忘れてお稽古してちゃいけないよね。
そして、上手になりたいし、美しくなりたいし、バレエシューズから、
ポアントになった時に更に、美しくなれるように、日々精進あるのみです。
なんとな〜く出来てた人なの。
マメが出来たり、爪が死んだりもした事無いし。
脚の部品はきっと、そろってたんだと思う。
(いいな〜とか、うらやましいとか、思う所では無いから)
バレエ始めてわりとすぐに、先生が足に合わないからって、ポアント次々くれるものだから、エシャッペとかして、遊んでたり。
その頃、そんなに真剣じゃなかったから、『たまにいるんだよね、何もしなくても履ける人』
って言われても、そんなに大変な事という認識もなかったし。
トウパットなんか入れるという事も知らなかったし。
土踏まずに乗れば、つま先は痛くないんだーって思ってたぐらいで。
ただ、宝の持ち腐れって事も良く言われた、その脚がほしいとか、その甲がほしいとか。
みんながうらやましいって言うから、
ポアントで、立つ事がやりやすい脚なのかな?
って思ってたけど、そこには大きな落とし穴があったの。
ポアント履いてる時と、バレエシューズの時と違う事をしていたんだね。
それがわかったのは、つい最近なのよ。
正しい基礎がわかって来たら、めちゃくちゃだったし、見かけ倒しの一筋縄ではいかないやっかいな脚だったの。
引き上げていないと絶対にポアントになれないし、柔らかいから、
真っ直ぐに引っ張ってないと、とても恐ろしい事になる脚。
自分で、出来てると思ってたポアントが、実は、巧みにごまかされた、虚飾の世界だったのよ。
今まで、何をやってたんだろう。何を聞いてたんだろう。
出来た形にまどわされて、そこに行く過程を全然大事にしていなかった。
そして、バレエシューズで、ポアントを履いてるかのような先生との出会いがあり、
美しいのは、ポアントを履く事でなく、ポジションの正確さだったり、鍛え抜かれた、
上半身だったりと言う事がわかったの。
何のために、バレエシューズで、バーレッスンするか。
ポアント履くためじゃないの。
何のためにバーレッスンするか、センターで踊るため。
バーレッスンの、延長上に、バレエシューズの延長線上に、
いろんな事があるのを、忘れてお稽古してちゃいけないよね。
そして、上手になりたいし、美しくなりたいし、バレエシューズから、
ポアントになった時に更に、美しくなれるように、日々精進あるのみです。
そして それは ある意味 過程、 到達点ではないし。
そう 土踏まずに乗れたら 一応 OKなんだろうけど それだけじゃないし
クリアーしていく点が いっぱい発見される。
私は ポアント履かなきゃ きっと 引き上げがどうの すねがのびてるか
足裏を使う〜 などなど わからなかたかも。
でも ポアント そのものが 目標では ないのよね。
ポアントであろうが シューズであろうが ドロシー姉がいうように
正確なポジションや 丁寧さなどから 美しさや 躍動感など
やはり「美」を 表すためだと思う。
ただポアントは たくさんのことを気づかせてくれたわ、ちょっと 反面
教師ですけど。
先生は 本気で自分を輝かせてほしい〜とわれました。
私が ポアントうまくなりたい、強いからだがほしい〜なんていったからかしら。 「輝くために本気になることは 肉体を強くする事と別に 知的な作業、
掘り下げがいるよ…」と。
自分をみつめて 愛してほしい〜と。 それが その人の踊りになるだろうと。
ポアントでなくても ドロシーさんが会った先生のような人がいる あるんだよね。
私の場合 ポアントだけでなく 輝き、存在 そのものを 考えてって
すぐ 返された感じです。ありがたい。 いい人じゃなくていいって。
踊り手として素直に…と。
ポアントを履く事を考えるのも 熟考して…。
それが精進の一手となるように。
森は やっぱり 深そうだ。 でも 豊か…。